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Stay Hungry, Stay Foolish

Steve Jobs

佐野聡 訳

おおきに~

あの~、なんちゅうか、わて、ちょっぴり緊張しとるんやけど、こんな京大とか阪大入るんより大変な名門大学の卒業式でしゃべらせてもらえるなんて夢のようやわ。ホンマ、感謝感激雨霰やで。で、わて、ホンマ言うと実は高卒なんや。せやから、大学の卒業式っちゅうもん出んのも、これが人生初ってなわけ。今日はぎょうさん話したいことあんやけど、よう考えて、3つに絞ってきたわ。3つだけ。みんな、我慢して聞いたってえな。じゃ、早速、ひとつ目、点と点をつなぐお話から始めるで。いきなりぶっちゃけるとやな、わて、大学入学から6か月と経たんうちに、なんかアホらしうなって、そんで東淀川駅通過する新快速くらい高速で中退したったわ、大学。で、大学辞めたってやることないから、それからもなんやかんやで大学に残っとったんやけど、18か月目に正真正銘やめたったわ、あんなFラン大学。で、なんで、辞めたかっちゅうと…

話は、わてが生まれたときに遡るんやけど、わてのおかんちゅうたら当時、新今宮駅近くでもよう見んわ!くらい「ド」のつく貧乏で、経済的ににっちもさっちもいかんもんやったさかい、わてを産んだら養子に出す計画立てとったわけや。で、おかんの希望はっちゅうと、インテリはんのとこがええ、っちゅうて、わて、最初は弁護士一家んとこに引き取られる段取りやったんねんけど、それが直前になって、その弁護士はんが「やっぱ女の子じゃなきゃアカン」てダダこねだして、急にドタキャン。もう、ホンマむかつくわ。というわけでやな、わての実の育ての親なんやけど、そこんとこに、深夜やで、「ジョブズっちゅう子がおるんやけど、いりまへんか?」って電話がいったわけ。電話受けたわての育ての親もまんざらやなかったんやろうな、それでまあ、話が落ち着くか思たんやけど、ところがどっこい、わての生みの親もちゃんと調べろよ、っちゅう話なんやけど、あとから、わての育てのおかんが高卒、おとんが中卒って分かって、わての生みのおかん、最後の最後いざというときになって、土壇場でサインを拒否しよったんや。で、焦ったわての育てのおかんとおとんが「ジョブズちゃんは絶対、大学まで行かせますんで、ここはひとつ、阪神タイガーズが優勝した思うて、頼むわ~」言うて、結局わての生みのおかんも渋々折れて、一件落着、ってなったわけ。てのが、わての出生エピソード。な、複雑すぎて、何言うてるか全く頭に入ってこおへんやろ。

で、それから17年後、えらいやろ、わて、ホンマに大学に受かったったわ。せやけど、わてもアホやで。ろくに考えもせず、めちゃくちゃカネかかる大学、選んでしもたさかい、わてのオカンとオトンの雀の涙ほどの貯金は、あっちゅう間に蒸発してしもたわけや。ホンマ、けったいやで。なんでFランなのに、あんなカネかかるん?それから6か月、案の定、わて、もう大学なんかに何の意味も見いだせなくなったんや。そんときは、自分が将来何したいんか、ろくに分かっとらんかったし、そんで、大学が何かの役に立つとも思えへんかったんや。で、学費はというと、大学が掃除機みたいにどんどん吸い込んでいくわけ。ホンマ、ダイソンの吸引力も顔負けやで。おかんとおとんの蓄え、1ドル残らず吸い込みよって。せやから、わて、そんなんがアホらしくなって、大学辞めたったわ。でも、辞めたは辞めたで、そんときはまあ、どうせ何とかなるやろ、くらいに思てたわ。要は、まだまだ怖いもん知らずだったわけやな。もちろん、怖いは怖いで。大学中退やろ。犬でも食わんわ。でも、今振り返ってみると、あんとき大学辞めた決断っちゅうのが、わての人生の中でも一番のファインプレーやったんちゃうかな。あと、大学中退したおかげで、クソつまんない授業は出えへんでもよくなったし、その代わり、オモロそうな授業はもぐりで聞き放題になったわけやから、万々歳やで。

で、これ、美談やのうて、ホンマ、しょーもない話やで。現実は、住むとこも食いもんもあらへん。せやから、元同級生に頭下げて、すんまへん言うて、そいつん部屋の床で寝かせてもろたこともあったし、カネんためなら、コーラの空き瓶まで拾っとったわ。なんでかっちゅうと、空き瓶を業者さんとこ渡すと、5セントちゃんもらえるから。な、みじめやろ。あと、メシんためなら、毎週日曜、梅田から尼崎くらい離れたところにあるハーレークリシュナ天神まで通っとったわ。そんなこんなで、当時はまあしんどかったけど、今振り返ると、良い思い出ってやつやな。何ちゅうか、自分の好奇心と直観に従って出会ったもんて、ホンマ、プライスレスや思うわ。で、そん当時、わてが通ってたリード大には「カリグラフィー」っちゅう珍しい授業があってやな、その影響かしらんけど、キャンパスに貼ってあるポスターとかは、ごっつきれいな手書きの字で書いてあったわけ。相田みつを百人集めても敵わへん。もちろん、まだ、Mac とか普及してない頃の話やで。中退したばっかのわては、クッソつまらん必修の授業に通う義理なんてもうあらへんわけやから、その「カリグラフィー」っちゅう授業にもぐりこんで、熱心に先生の話を聞いとったわけや。そこで、わては serif とか sans-serif とか覚えたし、あと、字と字の間どう調整したらきれいに見えるとか、ふむふむって聞いとったわけなんやけど、よう勉強してみると、「カリグラフィー」って、めちゃくちゃオモロイやん。もう、大学受験の数学とか物理とかより100倍は奥深いで。わて、ホンマ感動したわ。

「カリグラフィー」なんか、人生で役に立つわけあらんへんやろ、でも、おもろいからえっか、くらいに思うとうたんやけど、でも、10年後、わてが最初のマッキントッシュコンピューターを設計しとったときに、ビビッときたんや。そんで、「カリグラフィー」で勉強したことをとことんMacにつぎ込んたったわ。Mac いうたら、世界ではじめて、めっちゃ読みやすいきれいな字をスクリーンに表示させたパソコンやで。マクドやあらへんで。で、もし、もしもやけど、わてがあんとき、大学の授業にもぐりこんでへえんかったら、Mac も誕生してなかったわけやな、不思議な話やで。で、あのけったいなウィンドウズっちゅうもんはただ単に Mac パクっただけやさかい、これホンマ冗談やのうて、もしわてがあんとき大学の授業もぐりこんでへえんかったら、今ごろコンピューターのフォントなんか滅茶苦茶やで。ああ、ついでに言うとくと、ビル・ゲイツはんはなんか顔見てるだけで虫酸が走るヤツやな。

もちろんやけど、大学時代は「カリグラフィー」受けたら良い就職先みつかるとか、カネぎょうさんもうかるとか、そんな意識高い系が考えるようなけったいな考えは一切なかったで。将来見据えて計画通り100%やるなんて、土台無理な話やろ。けど、10年経ってみい。今、振り返ってみると、あんときやったあれとこれとがつながったとか、ホンマ、クリアにわかるんや。大事なことやから、何度も言わしてもらうけど、将来性とか考えてる意識高い系のヤツはホンマ、キムチ瓶の中で腐って乳酸菌に食われた方がマシやで。ああ、あれが役に立ったわ~、とか、そういうんが分かるんは、後出しジャンケンみたいなもんで、だいたいは10年後くらいとかや。だから、いつかきっと、あれとこれとがつながるう信じて、気長に待つこっちゃな。ホンマ「人事を尽くして天命を待つ」や。とりあえず、なんでもええから、例えば、神様はんとか、運命とか、天神さまとか、カルマでもええ、とにかく、なんでもええから、信じるこっちゃ。で、何かを強く信じてるヤツっちゅうのは、自然と自信っちゅうか、周りにオーラが漂ってくるもんやで。それが逆境を乗り越える力をくれるんや。たとえ、人から後ろ指指されるような道に進んだとしてもやな、結果がどうなるか、それは天神さまが決めることや。『アンナ・カレーニナ』ちゅうクソ長い小説にもたしかこう書いてあったやろ、「復讐するは我にあり、我これに報いん」って。あれ、話が違うか~

ま、盛り上がってきたところで、2つめに入ろか~。わてが話したい2つめは、ラヴとロスや。わて、ある意味ラッキーだったんや。なんでかっちゅうと、人生の早い時期にやりたいことが見つかったからな。アップルはわてがハタチのときに、ウォズはんと実家のガレージで立ち上げた会社なんやけれども、ようがんばった思うわ、創業10年で時価総額20億ドル、従業員数4000人の企業にまで成長したんやから。で、わての、かわいい、かわいい、マッキントッシュちゃんをリリースして、そんから1年後、わて、どうなったと思う?自分でもよう信じられへんけど、わて、クビになったんやで。どうやったら、自分が作った会社からクビきられるん?ホンマ、ツッコミどころ満載やで。ま、詳しく顛末を語るとやな、アップルが成長するにつれて、わてらもハイスペック人材とやらをたくさん雇ったわけなんやけど、何事も始めのころはそりゃうまくいくんや。しかしやで、そうは問屋は卸さへんで、いや、違う違う、そうはアップルは卸さへんで、徐々に方向性の違いが出始めてやな、結局、最後はバチバチの喧嘩になったわけ。そしたら、あほんたらばかりのハイスペック人材たちがわてに楯突きよって、30歳のわて、明日から来おへんでええ、ってことになったわけ。アップルゆうたら、わてが一からつくりあげて、わてのそれまでの人生で、一番しっくり来てたもんやったんやけど、突然オワタわ。ホンマ、けったいやで!

ホンマ、それから数か月間は途方に暮れてたで。あっちゃー、やっちまった~って思たわ。あと、わてが尊敬しとった先輩たちにも申し訳なかったわ。そういった先輩たちの気持ち考えるだけで、わて、いたたまれなのうて。で、早速、デイヴィッド・パッカードはんやボブ・ノイスはんにも会いにいったし、台無しにしてもうて、ホンマすまん、って面と向かってちゃんと頭下げたったわ。で、白昼堂々、負け犬になったわては、もうシリコンバレーからも夜逃げしたろか、っちゅう気分で、絶望しまくっとったんやけど、徐々に気づいたことがあってん。わて、やっぱ自分がやってきたこと、あきらめきれへん、って。それは、あのアップルでのけったいな一件が起きた後でもや。ま、アップルにはこてんぱんにフラれてもうたけど、好きなもんはやっぱ好きや。で、強く思うたわけ。絶対、捲土重来したるって。

で、今だから美談になるわけやけど、ひょっとしたら、あんときアップルから放り出されたことが実はわての人生の最大のターニングポイントやったのかもしれへん。ま、つまりやな、成功せにゃならんっちゅうプレッシャーから自由になれたわけや。心が軽くなったというか。ま、その分、リスクに立ち向かわなあかんようなったけどな。けど、それからは、わてのクリエイティヴィティが湧き出るわ、湧き出るわ。もう、水でたとえたら、琵琶湖の水くらいあふれ出たんちゃうかな。5年っちゅう短い期間に、いろいろやったわ。まず NeXT つくったやろ、それから、ピクサーもつくったやろ、あと、嫁はんとも出会えたわ。ま、ピクサーっちゅうたら、知らん奴おらんやろ、あの「トイ・ストーリー」作った、宇宙一成功したアニメ制作会社や。で、けったいな運命の巡りあわせっちゅうか、神様はんのイタズラっちゅうか、知らんうちにアップルが NeXT 買収することになってん。で、わてもアップルに復帰したわけや。結果、NeXT が今のアップルの復興を助けてやったし、わてと嫁はんのローレンツちゃんもそこで知り合って結婚できたわけ。ほんま、めでたし、めでたしや。

で、結局、あんとき、アップルから放り出されてへえんかったら、こんなシンデレラストーリーはありえへんかったわけや。まさに「良薬は口に苦し」やな。なんちゅうか…生きてるとホンマいろんなことあるで。島倉千代子姉さんも歌っとったわ、人生いろいろ~♪ って。たまにはコロコロコミックで殴られたんちゃうか、くらい頭痛いこと、あるはある。せやけどもやな、そんな逆境にもめげず、前に進むためには、やっぱ自分が好きなこと、見つけにゃアカンで、仕事でも、嫁はんでも。仕事って、たいていみんな1日8時間以上もしてるやろ。だから、自分がこれだって思える仕事、探さにゃアカンで。で。これだっちゅう仕事見つけたら、あとはその仕事のことをとことん好きになるこっちゃ。えっ?そんなもん、まだ見つかっとらんて?心配すな。見つかるまで探し続けたらええやん。あきらめたらアカン。どんなことでもそうやけど、これだってもの見つけたときって、なんかビビっとくるもんがあんねん。そして、時間が経つにつれて、どんどん良い方向に進んでいく。だから、あきらめへんでもええ、探し続けるんや。

3つ目、もうそろそろ終わりにするから、あと少し辛抱したってな~。最後は、死っちゅう、けったいなもんについて話させてもらうわ。あれはたしか、わてが17歳のときやったやろか、そんとき出会った一節で「毎日、今日が人生最後の一日や思て生きてると、それはいつか現実のもんになる」っちゅうもんがあったんやけど、結構ビビるやろ。で、その言葉は今でもわての胸に残っとるし、それに衝撃を受けて以来、わて、33年間も続けてることがあるんや。毎日、鏡に向かってな、こう自問自答するんや。「もし、今日が人生最後の一日やったら、自分、今からやろうと思てること、ホンマやりたいか?」てな。で、その答えが「アカン」の日が何日か続くと、気づくわけやな。「あれ、何かおかしい、何か変えんと」って。人生は短いし、人はいつか死ぬ。これは、わてが大事な決断をするとき、必ず思い出すことなんや。なんでかっちゅうと、このけったいな世の中のほぼほぼあらゆる事、例えば、他人がどう思っとるか、とか、プライド、とか(これは、岡本真夜姉さんがよく歌ってたことやなあ)あと、失敗や恥を恐れる気持ち。そんなつまらんもんは、死ぬことと比べたらホンマあっほらしいで?自分がいつか死ぬってこと、忘れんでいるっちゅうことは、そうしたくだらんもんに騙されへんためにめちゃくちゃ大事やで。そもそも、人間、おぎゃーって生まれた時から、実は失うもんなんて何ひとつないんや。みーんな、ある意味、無一文や。だから、自分の心の声に耳ふさぐなんて、ホンマ、どアホやで。自分の心の声聞かんで、いったい誰の声聞くん?

で、あれは1年ぐらい前のことやったやろか、わて、お医者はんからガンって宣告されたんや。ホンマ、ガーンやで。朝の7時半からCTとってやな、で、お医者はんが言うには、すい臓あたりにくっきりけったいなもんが見えます~って。わて、それ聞いたとき、は??ってなって、「てか、すい臓って何?そんなもん、わてのカラダのどこにあるん?」思たわ。お医者はんはわてに、このけったいなもんは典型的なアカンやつで、お手上げや、言うた。余命6か月。ホンマ、笑えへんで。そう宣告されたときは、さすがのわてもショックやったわ。で、お医者はんはたたみかけてくるわけや、とりあえずもう準備しとけ、って。京都人くらい回りくどい言い方やけど、要は、君もうすぐ死ぬで、っちゅう意味や。そんなん言われへんでも分かっとるわ!子どもたちに伝えたいこというたら、わて、数えきれないくらいあるで。十年くれても足りひんちゃうか。それを数か月で伝えろって、それホンマ無理ゲ―やで。あと、できる限り身辺整理しとき~、って、もう勘弁したってえや。ホンマに愛してる家族やからこそ、伝えたいことなんて次から次へとあふれ出て止められへんやろ。わて、プレゼンはまあ得意な方やけど、家族への愛はパワポじゃ伝えられへんって。

ガンの宣告うけたときっちゅうのは、わて、ホンマ茫然自失やったわ。そんで、宣告のあと、精密検査っちゅうのかようわからんけど、生検っちゅうもん受けさせられて、のどから、なんかけったいな内視鏡つっこまれてやな、そんで、なんか針やらなんやですい臓にあるできものから細胞ひとつまみとって調べたわけ。そんとき、わては麻酔されとったから、頭がぼーっとしてて、ようわからへんかったけど、あとで嫁はんが言うには、お医者はんが「奥さん、顕微鏡でよう調べたらわかったんやけど、ジョブズはんのけったいなアレ、これ、手術で治せるやつやで」って教えてくれて、で、とんとん拍子に手術になって、わてのけったいながんは摘出されたんや。わて、今こうして、大学の卒業式でしゃべっとるわけやけど、あれもこれもホンマ、お医者はんと天神さまのおかげやな。まあ、そのガンっちゅうのが、わてが人生で一番死ぬんちゃうか思たことなんやけど、で、あんなおっかない経験は、これから何十年生きるとしても、もうこりごりやけど、そんな経験をしてやな、なんちゅうか、わて、“死”っちゅうもんがちょっとは分かるようになったんや。若かったころ“死”は、わてにとってキシダソーリの所信表明演説くらい何言うてるかわからんもんやったけど。

だれも死にたくおまへん。たまに、早よ天国行きたいわ~ってホラ吹いとるヤツおるけど、あんなん真っ赤なウソやで。そういう奴も、死ぬ間際になると、結局死にたくない~って泣き出すのがオチや。けど、けったいやなあ、わてら人間やから、結局は死ぬんや。例外はおらへん。イエスはんもブッダはんもみんな死んどる。で、わて、思うんやけど、人間なんちゅうもんは、やっぱ死んだほうがマシや。なんでかっちゅうと、“死”があるおかげで、老害がいなくなるわけやからな。これ、冗談やのうてホンマやで。“死”っちゅうもんは、たとえるなら、「老害ホイホイ」やな。置いとくと、老害たちがバッタバッタ死によって、そんで代わりに、若い活きのいい連中が活躍できるようにしてくれるわけや。で、これからは、やっぱ、あんたら若いもんの時代やで。せやけど、けったいやなあ、そんなあんたらもいつかは年とって、結局わてみたいな老害になって、死んでいくわけや。これ、冗談やあらへん、ホンマや。人生の時間はホンマ短い。他人のくだらん頼み事やら、どこの誰とも分からん馬の骨に押し付けられた事に付き合っとるヒマなんてあらへん。他人の考えに、ごもっともです~、なんて頷くとか、そんな悠長なマネしてられへんで。だから、他人の言うことは、馬耳東風が一番や。右から左に聞き流したらええ、一番大事なのはやっぱ自分のキモチやろ。日本代表のホンダさんも、リトルホンダいうてたやろ。ホンマそれやで。不思議なもんで、自分の中にいる内なる自分は、やっぱ自分がホンマは何やりたいか、うすうす気づいてるもんやで。それにしっかり耳傾けんとな。

すまん、3つ言うてたけど、最後にわての若いころの思い出話もしたくなったから、させてもらてもええかな。みんな、疲れとるかもしれへんけど、最後もう少し付き合ってえな。みんなは「ホール・アース・カタログ」っちゅう本知っとるか?わてが若い頃めちゃくちゃハマっとった本なんやけど、この近くにスチュアートはんっちゅう、えらいおっさんがいてな、そのおっさんが天才的なセンスで作り上げた宝石箱みたいな本なんや。で、まだ60年代やから、当然、パソコンやiPadなんてもんがまだない時代や、「ホール・アース・カタログ」は、はさみとのりを使って写真を、チョキチョキ、ぺたぺた、チョキチョキ、ぺたぺた、やって作ってたわけや。例えるなら、紙で作ったグーグルみたいなもんやね。まあ、グーグルはわてが唯一認めるライバルやけど、「ホール・アース・カタログ」もホンマすごかったんや。

で、その後も、スチュアートはんは頑張って「ホール・アース・カタログ」を出し続けてやな、一通りやって満足したわ、っちゅう段階で「ホール・アース・カタログ」は最終号を迎えたわけ。それは70年代のことで、わてがちょうどあんたらと同じくらいの歳やったときや。で、その最終号の背表紙には、なんか島根県あたりのいい感じの田舎道が載っててやな、最後に一言添えてあるわけ。「アホになれ、インテリなんかになるな!」って。かっこいいやろ、当時は心にグッとささったわ~。で、わてもパクらせてもらうけど、最後に言わせてもらうで。「つまらんことに満足したらアカン、アホになれ!」いい大学出て、大企業入って、きれいな嫁はんもらても、それはそれで結構毛だらけ猫灰だらけやけど、あんまオモんないで。だから、

「アホになれ!」

あ~、最後に言いたいこと言えて、すっきりしたわ。
みんな、最後まで聞いてくれて、ありがとう。
ホンマ、おおきに!

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